公開日 2019年2月15日
更新日 2019年2月28日
市指定有形文化財 丸毛家住宅の歴史
丸毛家住宅は、江戸時代後期の建築様式をとどめる、市内でも数少ない武家住宅の一つです。
この丸毛家住宅の敷地は、江戸時代に藩より屋敷地として、代々丸毛家に与えられたものです
丸毛家住宅の西側には竹林をのぞみ、南に面したいわゆる「奥」の部屋に隣接する縁側では、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
丸毛氏はもともと美濃国(今の岐阜県)の武士で、明智光秀の家臣であった斎藤氏の一族でした。そのため、光秀が羽柴(豊臣)秀吉によって滅ぼされた天正十年(1582)の山崎の合戦では、明智方に味方し敗れたため、長く流浪していたと丸毛家家系図に記されています。
寛永五年(1628)、丸毛弥市右衛門忠勝の代に、忠勝の外祖母が稲葉一鉄公(臼杵藩初代稲葉貞通の父)の娘であったため、その縁で三代藩主一通公に元高二百石で召し抱えられ、町奉行役を務める臼杵藩では上級の武家でした。
海添は、城に近い場所は中級武士の屋敷地、海添川に架かる竹尾橋一帯では足軽や鉄砲組の下級武士の屋敷地として形成されていたようです。南には口屋番所(農村から城下への検問所)が置かれ、城下町への交通の要所でもありました。
海添には他にも、今なおきれいな岩清水が湧く「山下水」や、「旧安野家屋敷長屋門」、江戸時代に建立された「東光寺」「泉入寺」「宝蓮寺」など、多くの歴史文化遺産があります。
丸毛家住宅は、武家の生活様相や文化を理解してもらう公開施設として、また町並み観光の一拠点として活用するため、平成元年に建物の解体修理を行いました。その後、平成2年3月16日に、市の有形文化財として指定されています。
そして平成15年、さらに「昔のくらし」を体験できる施設として、うまれかわりました