公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 直良信夫(その二)(なおらのぶお)
- 所在
- 備考
- 昭和61年12月調べ
- 説明
- この「明石原人」の骨の発見は考古学史上、特筆すべき大発見であったにもかかわらず、当時における学会の閉鎖性と学閥の争いの中に巻き込まれ、学歴も何もない単なる在野の一青年が発見した骨であるという学問以前の段階で否定され、かつ無視されてしまいました。
もし、当時の学者が小さなことにこだわらずに、彼の発見に正しい評価を与えていたならば、日本考古学における旧石器時代研究は大きく進んでいたかもしれません。無視されたことによって、当時代の研究は四十年近くも遅れることになってしまいました。
彼は、この発見を契機として、長い間大変つらい思いをすることになります。しかし、学問への情熱は冷めることなく、これ以後は考古学よりむしろ古生物学・地質学・人類学・民俗学などの分野で幅広い活躍をしています。
彼は、その生涯において四百編に近い著書や論文を著しています。その執筆に対するエネルギーたるや驚くべきものがあります。
このような執筆活動の一つとして、自分が育ったふるさとへの思い、すなわち幼かったころの思い出をつづり、時の移り変わりとともに姿を消そうとしている子供の世界の数々を四季ごとに書きとどめた「子供の歳時記」という本を書いています。
若くしてふるさと臼杵を離れ、いつか臼杵に帰ろうと思いながらもいろいろな事情で結局、故郷の土を踏むことができなかった彼にとって、子供のころの臼杵での人や自然とのふれあい、更に思い出をつづることによって、故郷との絆を強めていたのではないでしょうか。
彼のふるさとへの思いは、年を経るごとに募っていったようです。彼はその思いを次のように語っています。
「臼杵に帰ってみたいですよ。帰れなくなると、ますますふるさとが思い出されます。若い人たちは、気軽にふるさとを捨てる。私も若い時はそうでした。しかし、年をとると望郷の念が強くなります。 -中略- 私にとってのふるさとは臼杵です。たとえ長年は離れていても、こんなにまでふるさとを思うというのは、私自身が年を取った証拠でしょうか。私のようにふるさとを捨てた人間でさえ、望郷心がつのるのです。」と。
ふるさとのすばらしさ、それはそこを離れ異境の地へ移って生活してみた時、あらためてわかるのかもしれません。