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直良信夫(その一)

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
その他
名称
直良信夫(その一)(なおらのぶお)
所在
 
備考
昭和61年11月調べ
説明
臼杵は、日本の歴史上に残る数多くの人物を輩出しています。それも画家、作家、政治家、経済人、学者、彫刻家と、様々な分野においてそれぞれ功績をあげています。しかし、ある分野において多大な貢献をしたにもかかわらず、その名前があまり知られていない人物もいます。
その一人として、「直良信夫(敬称略)」があげられます。日本の考古学史上初めて日本列島に住んでいた「日本原人」の骨を発見した人物です。この骨は、後に採取した場所の名を冠し、「明石原人」と命名され、その名は広く世に知られるようになりました。
彼は、明治三十五年(1902)一月十日、市内二王座の切通しにおいて、村本幸一、シメ夫妻の次男として生まれました。小学校時代の彼は目立つほうではなかったのですが、遊びにおいてはガキ大将で意気地が強く、いたずら者で別格扱いにされていた反面、人一倍向学心に燃えていたということです。
大正三年(1914)彼は貧しい生活環境にありましたが、勉学への志を捨てがたく上京し、考古学や古生物学の学問にいそしんでいました。大正十二年、彼は苦学の中で病におかされ、転地療養のつもりで臼杵に帰る途中、ふと、子供のころ、生家の近所に下宿していてよく勉強を教えてくれた直良音先生が姫路の女学校に勤務しているのを思い出し、訪れています。この訪問こそが後の彼を不思議な運命へと導くことになります。
音先生との結婚、そして昭和六年(1931)四月十八日、明石の西八木海岸において、日本で最初の原人骨発見へとつながっていきます。
彼は、その発見のときの模様を次のように語っています。
「昭和六年四月十八日、うららかな日、私は、いつものように、明石の浜を歩いていた。中八木から西八木をとおって、馬田の近くまで来ると、新しいがけ崩れに出合った。『何かありそうなものだ・・・』いつものくせで、土塊の中まで見透かすようなまなざしで、崩れ落ちている土に目をやった。『しめた!骨だ!!』急いでその骨の上に積み重なっていた土塊をはねのけた。それは、人骨(骨盤)だった。私は思わず声を立てた。体の震えが、しばし止まらなかった。長い歳月、夢にまで描いたその人骨を手にしたとき、久しい間の苦労が、一瞬にしてふっとんだような気がした。」(直良信夫『日本の誕生』より)
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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