公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 中国陶磁器(ちゅうごくとうじき)
- 所在
- 備考
- 昭和58年5月調べ
- 説明
- 古い陶磁器というと、日本ではまず最初に思い起こされるのが、伊万里焼ではないでしょうか。江戸時代(十七世紀の初頭)の初期に日本にきた朝鮮の陶工によって焼かれて以来、その多様な品種と美しい絵模様は多くの人々から高い評価を受け、今日に至るまで観賞用あるいは実用の焼物として広く親しまれています。伊万里焼といっても、伊万里で焼かれたことを意味しているのではなく、有田の皿山で焼かれた焼物を伊万里の港から船積みして国の内外に出荷したことから一般的に伊万里焼と言われるようになったものです。この陶磁器が出現する以前は、焼物はほとんど中国からの輸入に頼っていました。その主なものは、青磁・白磁・青白磁・染付などです。丈夫で、しかも安価であったことも手伝って、平安時代の終わりごろから室町時代(今から九百~四百年くらい前)まで盛んに輸入されています。
市内でも、この時期の中国陶磁器が、遺跡から多量に出土しています。なかでも下中尾・深田地区に所在する臼杵石仏周辺の地域からは、当時としては貴重品で、限られたごく一部の人たちしか所持できなかったと考えられる青磁・白磁の皿や碗などが、数多く発見されています。器の内外面にヘラ描きや櫛描きによる文様が施され、その上に淡い青緑色や乳白色の釉薬がかけられている青磁、白磁などからは、落ち着いた柔らかな味のあふれる美しさが感じられます。
これらの陶磁器が、石仏の周辺から多量に出土するところからみて、かつて、この一帯には、大きな経済力を背景に、多くの人々が生活を営んでいたことがうかがえます。