公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 稲荷と狐(その二)(いなりときつね)
- 所在
- 備考
- 昭和59年7月調べ
- 説明
- お稲荷様といえば朱の鳥居や赤い幟が立てられていることが多く、一見しただけでその御祭神を理解することができます。しかし、中には鳥居・幟や刻銘などが無く、ただ石の祠に注連縄が張られているだけのものもあります。したがって、ちょっと見ただけでは何の神様が祀られているのかわからない場合が多々あります。昔は、稲荷を祀っていたものの、長い年月の間に祭神が忘れられ、ただ神様として今日まで祀られているものや、その存在がまったく地域の人々から忘れ去られてしまい、雑草におおわれた路傍の石と化しているものもあります。
市内には、現在その存在が知られているものだけでも十三ヶ所ほどあります。その多くは狐の妖気を鎮めるため、あるいは現世利益、商売繁盛などに霊験あらたかな神として、様々に場所に祀られています。これは、稲荷本来の意味が徐々に失われ、多様な地域信仰と結びついて生まれた信仰の一つと考えられます。
臼杵にある稲荷社の中で歴史的に見て価値あるものの一社として「内畑の稲荷社」があげられます。現在、地元では稲荷社の由来やここに祀られた時代などを知る人も無く、地区の氏神様(春日神社)の境内の一隅にひっそりと祀られています。昭和59年頃、内畑稲荷社の分社が、福岡市博多区祇園町にあることがわかり、その由来書によって往時の内畑稲荷社の様子をうかがうことができます。それによると、大友宗麟の家老で、柑子岳(こうじがたけ)(現、福岡市)城督でもあった臼杵鑑速が、永禄年間(1558~1569)に博多浜に臼杵の内畑稲荷を勧請し、守護神としたとあります。当時、内畑稲荷は霊験あらたかな神として多くの人々の信仰を集めていたものと思われます。