公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 灰石の文化(その一)(はいしのぶんか)
- 所在
- 備考
- 平成3年10月調べ
- 説明
- 人類が地球上に初めて登場したのは、今から約三百万年前のことといわれています。そして現在まで、人類は様々な素材を利用して、自分の生活をより便利に、快適に、そして実り豊かなものにするべく様々な道具や建築物、食品や芸術作品などを生み出してきました。
現代のように交通、流通が発達していない時代には、こうした素材は自分にとって一番近い位置にあるものが多く利用されていたことはいうまでもありません。日本でもあちこち歩いてみると、その土地で採集できる素材を上手に活かした特産品、あるいは文化財を見ることができます。長い年月をかけてその素材の特性を知り、絶えず研究を重ねることによって、その特性にふさわしい利用、加工方法を編み出し、その中に自分の思いを注いでゆく、そしてその土地の文化が形成されていくのでしょう。
臼杵において、臼杵の文化を形成してきた素材の一つとして灰石を挙げることができるでしょう。
灰石は、今でも墓石や建築材料として用いられている、黒灰石の凝灰岩です。正式には阿蘇溶結凝灰岩と呼ばれていることでわかるように、今より八万年前から四万年前にかけての阿蘇山の大噴火で流出した火砕流が固まってできた岩石です。
臼杵でこの灰石が用いられはじめたのは、今から約千六百年前の古墳時代中期のことと考えられています。今なお残る臼塚古墳や下山古墳の石棺や石甲、神下山古墳、丸山古墳の石棺はこの時期の産物です。
古墳時代前期(四世紀)ごろまで、臼杵で造られる石棺の素材には結晶片岩という、佐賀関半島で産出される岩石が用いられていましたが、古墳時代中期(五世紀)に入ると、石棺の素材の主流はこの灰石にかわります。これは全国的に見ても、石棺が葬られる人の身分をより強調するものとして大型化し、様々な装飾を施すようになったという時期に一致します。板状にしか加工できず、限られた形の石棺にしか利用できない結晶片岩に比べ、灰石は木材のように自由な形に加工できるため、時流にのっとった家形石棺や舟形石棺を造るのにふさわしく、自分達の身分の高さを主張しようとする時の臼杵の支配者層に受け入れられたのでしょう。
しかしながら、この時期に時流にのっとっていたとはいえ、特異な形態の灰石製石造物が造られていたことも事実です。全国的に類例のない切妻屋根形の棺蓋を持つ下山古墳の家形石棺や、日本最古で、古墳の石製装飾品の原点とされる臼塚、下山両古墳の石甲の存在から、独創的な文化を築こうとした古代臼杵人の姿を垣間見ることができます。