公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 秋葉様(あきばさま)
- 所在
- 備考
- 昭和63年11月調べ
- 説明
- 周囲の山々の木々が彩りを深め、晩秋から初秋への足音が近づいてくると、それに合わせるかのようにシベリア沿岸に高気圧が張り出し、太平洋岸に低気圧がとどまる西高東低の冬型気圧配置が現れてきます。高い山から吹き下ろす冷たく乾いた風が出てくる季節の到来となります。家々の軒先をほこりを巻き上げながら吹き抜ける寒風。空気も乾燥の度合いが一層強くなってきます。
この乾燥の時期になると怖いのは何といっても火事ではないでしょうか。ひとたび火事が起こると、その火元はもとより周囲にも甚大な被害を及ぼします。木造建築が多く、家屋も立て込んでいる臼杵の場合、その影響は計り知れません。消防設備もあまり整っていなかった今から百二十年程前の臼杵藩の時代にあってはなおさらのことであったと思います。当時、屋根に瓦を葺いている建物といえば、武家屋敷、寺院、一部の商家であり、ほとんどは板葺き、茅葺、藁葺といった建物であったため、火が出て、風にあおられたようなものなら町あるいは村全体が灰になることもしばしばあったようです。
古い記録によると、宝暦十三年(1763)の火事では、祇園洲から出火し、城内はもとより海添まで残らず焼き尽くしています。更にその三年後の明和三年(1766)の十二月には東塩田の二百九十三軒が焼失したと記されています。その後も数年ごとに大火に見舞われたため、当時の人々は、火よけに霊験あらたかな神としての秋葉山三尺坊大権現を祀る秋葉神社の分社を各地に作り、深く信仰していました。
市内に秋葉様といわれる神社は数社ありますが、中でも北海添(寺浦)にある秋葉稲荷社のお社は立派なものです。こけら葺で一間四面の小さな社殿ですが、覆屋がかけられ大切にお祀りされています。「臼陽寺社考」によると、この社は元禄三年(1690)に公(信通の次男)が寺浦にある山荘の山の半腹に建立し朱木の鳥居を建て、更に元文三年(1738)は木の鳥居を石の鳥居に作り改めたと記されています。
今も昔も火は怖いものといわれ、その扱いは十分注意されていますが、同じ火の扱いでも夜空を赤く染める火伏行事としての「王の字」「山一文字」などの火祭は怖さよりも美しく揺らめく炎の祭典として私たちの目を楽しませてくれます。