公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 縄文土器(じょうもんどき)
- 所在
- 備考
- 昭和62年3月調べ
- 説明
- 縄文土器という言葉は、ふだんあまり耳にしない言葉だと思います。これは、私たちが日常使っている茶碗や皿、あるいはかめや鉢といった器の先祖にあたるものといった方が良いかもしれません。
その名前のとおり、土(粘土)で作った器の外側に縄でつけた文様があるところから名付けられました。縄文土器といっても、この土器が初めて作られてから消えるまでに非常に長い時期、臼杵だけでなく全国的に往時の人々に使われていました。今からおよそ一万年から二千三百年前のことです。
この当時の器の形は、かめ、鉢、わん形といったごく限られたものだけであり、現在の生活で使用されている多種多様な器と比べると種類は少ないようです。種類が少ないということは、当時の人々の食文化とも大きな関係があります。
この縄文土器を使っていた時代、すなわち縄文時代は狩猟、最採集を中心にした時代です。山や森では、イノシシ、シカ、ウサギ、タヌキなどの動物を捕り、シイ、カシ、トチなどといった木の実を採集しています。更に海や川では、魚貝類を取り、大切な食料源としています。
この時代、気候が温暖であったため、南北両極の氷が熔け、海がかなり内陸深くまで入り込み、かつ山野は照葉樹林に覆われていました。したがって食料資源は比較的豊富で、生活は安定していたといえます。物がたくさん取れれば、当然それを食べるための用具や貯蔵のための用具が必要となります。この食生活の必要性から生まれたのが、煮炊き用、あるいは貯蔵用としてのかめであり、鉢であったわけです。
この何千年も前に使われていたかめや鉢の破片を市内のあちらこちらの畑や原野で見つけ出すことができます。これらの土器片がいたるところで見つかるということは、この臼杵には大昔からたくさんの人々が住みついていたという証でもあります。
昭和49年、当時南中学校の二人の生徒が、南津留の尾首台地の雑木林の中から多量の縄文土器片を発見し、学校に持ち帰りました。そしてこの土器片を先生方が約40日間かけて接合し、見事に復元しています。土器の口径は約53cm、推定の高さが50cmで口縁部に波状の凸帯を持つ大きなかめです。現在、このかめは中学校の正面玄関に飾られています。
この土器の復元は、数千年前の歴史を今日、鮮やかによみがえらせてくれました。縄文人が作ったその同じ土器を現代人が復元する。まさに「歴史は繰り返す」のことばどおりに・・・。