公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- その他
- 名称
- 弥生土器(やよいどき)
- 所在
- 備考
- 昭和55年3月調べ
- 説明
- 今からおよそ二千三百年から千七百年前の人々が日常の生活で使用していた赤褐色、あるいは褐色をした素焼きの器類を総称して弥生土器と呼んでいます。
この器には、それぞれの用途に応じて壷・カメ・器台・高坏・鉢などといったように様々な器形のものがあります。この弥生土器という呼び名は、この土器の最初の発見地である東京本郷弥生町の地名にちなんでつけられたものです。また、この弥生土器が広く一般に使われていた時代を「弥生時代」と名づけています。
この時代は、南方から伝播してきた「イネ」による稲作がほぼ一般化し、その収穫によってある程度の食生活を支えることが可能になってきた時代でもあります。人々は、稲作ができる湿地帯を求め、その周辺に住居を作り小集落を形成して定住生活を始めています。
当然、臼杵でも弥生時代に、臼杵、末広、熊崎の三河川の周辺大地に住居を構え、それぞれの川によって形成された肥沃な平野で水稲栽培が行われていたと考えられています。水稲栽培といっても現在とは違い、直播きによる栽培であったため収穫量は少なく、食料の不足分は狩猟、魚猟やアワ、ヒエ、イモ類などの栽培によって補わなければならず、稲作による定住生活に入ったといっても依然、食糧事情はあまりよくなかったと思われます。しかし、水稲栽培による生活の変化は土器作りの上でも新しい変化を呼び、この時代に多種多様な土器を生んでいます。
春のやわらかい日差しを浴びて高台を散歩してみませんか。畑のあちらこちらで赤褐色や褐色をした弥生土器のかけらを見つけることができるかもしれません。それらの破片にはきっと弥生人の生活のにおいや夢が秘められていると思います。