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黒島4号墳横穴式石室

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
佐志生・下ノ江地域
名称
黒島4号墳横穴式石室(くろしまよんごうふんよこあなしきせきしつ)
所在
臼杵市佐志生
備考
平成5年7月調べ
説明
青い海と白い砂浜、そして、スダジイ林の緑が美しいコントラストを醸し出す黒島は、周囲2kmほどの小さな島ながら、歴史の宝石箱と呼んでもおかしくないほどに様々な史跡が点在することで知られています。
慶長五年(1600)、オランダの商船リーフデ号が漂着した島と推定されたことによって、全国的にも有名になった黒島ですが、今回はさらに千二、三百年さかのぼった古墳時代の遺跡をご紹介しましょう。
黒島は東側の小高い丘陵から中央部がくびれて西側に向け低丘陵が延びるという、分銅のような形をしています。この分銅の両端にあたる部分には五世紀から六世紀にかけての古墳が四基見つかっています。これらはいずれも直径約十mほどの、平面形が円形をした小さな円墳です。
中でも興味深いのは、島の東丘陵部に位置する黒島4号墳と呼ばれる古墳です。現在では古墳の上部が破損されていて当時の様子をそのままにとどめていないのですが、豊後水道沿岸部の古墳では極めて珍しい横穴式石室を持つことが知られています。横穴式石室とは、石を積んで造られた死者を葬る部屋(石室)の壁の一部に入口を設けたもので、五世紀になって、朝鮮半島の影響を受けて九州から流行し始めた石室のことをいいます。全国的にみてそれまでの石室の天井部に入口を設ける竪穴式石室から横穴式石室が主流になるのは六世紀に入ってからのことと考えられています。
黒島4号墳の横穴式石室は、大人の頭くらいの大きさの石をドームの天井を造るように積み上げて天井部を構成するものです。残念ながら発掘調査を行っていないので、入口部分の様子や、天井部の下の壁がどのようなものであったか、また、遺骸と一緒にどのような品物(副葬品)が埋葬されていたかは判っていません。ただ、測量の結果、古いものは四世紀の末、新しいものは六世紀後半にできたことがわかっています。
臼杵には五世紀の中頃までに県下最大級の前方後円墳・臼塚古墳をはじめとしていくつかの古墳が造られましたが、内陸部では五世紀の後半から墳丘を持つ古墳は造られなくなります。しかしながら黒島には小規模ながら臼塚古墳よりも古い時代から古墳が造られ、五世紀後半以降にまで続くことが考えられています。内陸部で大きな権力を振るっていた集団が消えたあとも、黒島の集団が脈々と存在し続けた証であるともいえるでしょう。海に生きる同じ海人部集団であっても、黒島と内陸部では、集団の性格が異なっていたのでしょうか。
黒島は今、夏真っ盛り。海水浴に訪れることがあったら、スダジイ林の森に眠る古墳を探検してみませんか。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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