公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 佐志生・下ノ江地域
- 名称
- 浦の石棺様(うらのせっかんさま)
- 所在
- 備考
- 昭和64年6月調べ
- 説明
- 市内には、石棺様と呼ばれ、土地の人々から大切にお祀りされている石造物がいくつかあります。石棺といえば、一般的には弥生時代から古墳時代にかけて、その地域を支配していた人物、あるいは、その土地で生活していた比較的身分のある人たちを葬った石の棺(石をくりぬいたもの、板状の石を箱形に組合わせたもの等)のことを指しますが、臼杵において石棺様と呼ばれているものの中には、こうした時代の石の棺以外に、五輪塔や宝篋印塔などの部材を用いたもの、墓石なども含まれているようです。したがって、石棺さまといわれている石の形は、実に様々です。
地域によって、その形は違っていても、それをおまつりする人々の厚い信仰心に変わりはないようです。下ノ江の浦地区にもその一つがあります。実際の所在地の小字名は宮山尻と言いますが、通称、浦の石棺様と呼ばれています。国道217号線の下ノ江橋を渡り、豊洋中学校へ向かう途中にある切り通しの東側山腹に位置しています。切り通しのところから続いている狭い道に入り、急な斜面を50~60mほど上ってゆくと、石棺様を祀っている場所に至ります。山の斜面を削り、平にした場所に二基の石造物が安置されています。
東側に位置しているものは、一辺40cm四方、厚さ20cm、上面に表面が扁平な自然石が三個積まれています。西側のものは、東側のものよりやや大きく、一辺が56cm四方、厚さ25cmをはかります。そして、上面には、非常に見事な蓮弁(れんべん・ハスの花びら)が彫りだされています。ここも東側のものと同様、上に三個の自然石が積まれています。この場所に安置されている石棺様は、墓石と五輪塔の一部を転用したものです。
いつごろ、どのような目的からこの地におまつりされるようになったのか、はっきりしません。おそらく、従来は墓として安置されていたものが、いつしか先祖供養の意味を持った石造物として扱われるようになったのではないでしょうか。また、二基の石造物の上面に自然石が三個乗せられていますが、どのような意味から三個に限って載せられているのか、興味深いものがあります。
市内には、これら以外にもまだまだ多くの不思議なものや意味不明なものが残されています。長い年月の間に、本来の意味が忘れられてしまい、形だけが受け継がれているということはよく見受けられます。各地に残されている同じようなものを捜し、元の意味を探り、それらを祀った当時の人々の心に触れることは、私たちのふるさとの歴史を見治すきっといい機会になることでしょう。