公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 佐志生・下ノ江地域
- 名称
- 紺屋淵(こんやふち)
- 所在
- 臼杵市下ノ江門田
- 備考
- 昭和59年2月調べ
- 説明
- 下ノ江川の中流域で、東へ流れていた川が屈曲して南へ流れる赤松天満社の付近には「コンヤ渕」と呼ばれている小さな渕があります。昭和の初めごろまでは天満社の南側に染物屋があって、藍染めを職業としていたそうですが、今はそれもなくただ、渕から仕事場へ引き込んでいた水路のみが残り、往時の様子をしのばせてくれます。
臼杵における藍染めの歴史は古く、江戸時代の終わりごろ(今からおよそ150年程前)までさかのぼり、藍の栽培法の源流は阿波の国(現在の徳島県)にもとめることができます。
その昔、下ノ江の大野村に住んでいた井沢幸兵衛なる人物が、あるとき四国八十八ヶ所の霊場巡拝の旅に出て、第一番札所の霊山寺に詣でたところ、その地では平地に稲の姿はなく、見わたす限り藍草が植えられており、家々はその生産によって裕福そうでありました。
幸兵衛は、この様子を見て何とか臼杵でもこの藍の生産をはじめさせ、農家を裕福にさせてやりたいと考えました。苦労してその藍問屋で働き、当時は他領へもらすことを禁じられていた藍の栽培法を習得しました。
その方法を臼杵に持ち帰り、藍の栽培に励み苦心に苦心を重ねた末にやっと臼杵の地に適した栽培法を見いだし、その後下ノ江をはじめ下北・江無田方面にまで藍栽培は広がり、農家は大いにうるおったということです。このため幸兵衛に恩を受けた農家の人々は石碑を建てて、永く彼の徳をたたえました。その碑面には「生藍功績碑」と刻まれています。この碑は下北農協前から国道217号線を下ノ江方面に50mほど行った道端に建てられています。