公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 佐志生・下ノ江地域
- 名称
- 虎御前の墓(とらごぜんのはか)
- 所在
- 臼杵市下ノ江
- 備考
- 昭和57年9月調べ
- 説明
- つらく悲しい十数年間の生活に耐え、富士の裾野において、父河津三郎祐泰の仇敵工藤左衛門尉祐経を討ち果たし、見事、本懐を遂げた若き十郎・五郎の兄弟。その兄十郎を深く慕い、陰になり日向になり最後まで兄弟を温かく見守り、兄弟亡き後は、髪を下ろして永く菩提を弔ったといわれる虎御前。これは、皆さん良くご存知の曽我十郎祐成・五郎時致(ときむね)の物語(曽我物語)です。この物語に登場する虎御前(この名は源氏名=職業上の仮名)のお墓と伝えられる石造物が、下ノ江の徳尾地区にあります。いつごろ、どのような理由からここに作られたものか、はっきりとはしませんが昔から虎御前の墓としてこの地域で守られているものです。墓は中村公民館から徳尾の集落へ通じる坂道を登りつめた西側の畑の中に二基建てられています。
形は、頂部が三角を呈する板碑形をしています。二基あるうち、東側のものは上部が欠損しているため全体の大きさはわかりません。西側のものは、総高1.35m、幅0.46mの大きなもので、凝灰岩でつくられています。二基が肩を並べるように西側へ30度ほど傾いています。
伊豆の豪族伊東氏と親類関係にあった曽我兄弟、その兄弟とかかわりのあった虎御前。これら諸々の事情から、先祖を同じくすると考えられる下の江の伊東家の人々が、先祖供養の意味から虎御前を当地に祀ったものと思われます。毎年、9月14日には、徳尾のイトウ家の人々によって供養が営まれています。
夕陽を受けて長く尾を引く墓石の影、その影は、愛する人を失った女性の深い悲しみをうつし出しているかのようです。