公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 海辺地域
- 名称
- 鯨の墓(くじらのはか)
- 所在
- 臼杵市大浜
- 備考
- 昭和56年6月調べ
- 説明
- 潮を吹き上げながら、大海原を悠然としかも自由自在に泳ぎまわる鯨の姿には、海の王者としての風格が感じられます。このような鯨の姿を江戸時代から明治時代までは臼井湾でもしばしば見ることができたそうです。潮の流れに乗り「いわし」を追いかけて湾内に奥深く入り込み、動きの取れなくなった鯨を捕らえたという古い記録もあります。このほか、確かに鯨を捕らえたという証拠になるものとして鯨墓といわれるものがあります。このような墓は、非常に珍しく、大分県内では十箇所、そのうちの五つが臼杵市内の海岸部にあります。その五個所を上げてみると次のように成ります。
一、佐志生尾本の堤防突端「大鯨善魚供養塔」
ニ、中津浦恵比寿神社境内「鯨神社」
三、大浜字破磯「釋尼鯨」
四、大浜字松ヶ鼻「鯨之墓」
五、大泊「大鯨魚宝塔」
いずれも鯨に対する感謝、報恩供養のために建てられたものです。
この五つのお墓のうち、大泊に建てられたものに関しては、古文書が残っています。この記録によると明治三年に鯨が捕れる前、大泊村は漁港を作るために各地から石の買い付けをして大きな借金を抱え込み、村中がその借金返済に苦労していました。そんな折、鯱に終われて漁港に逃げ込み、動きの取れなくなった鯨を捕らえ、これを売って借金を全部返したということです。このため鯨は「村の救いの神」としてまつられ、今日もなお供養が行われています。市内にある鯨墓は臼杵湾内でも鯨がとれたことを証明する貴重な資料の一つといえます。