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夜泣き地蔵

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
上浦・深江地域
名称
夜泣き地蔵(よなきじぞう)
所在
臼杵市板地屋
備考
平成元年8月調べ
説明
夜泣き地蔵といえば、よく日本の昔話や民話などに取り上げられている題材ですが、これに似たような話が市内板知屋にも伝わっています。平成元年頃、その話に関連するお地蔵様が見つけ出され、再びおまつりされるようになり、地区の話題になりました。その不思議な縁を頼ってか、また、お参りに訪れる人は多く、献花は絶えたことはないほどだといわれたそうです。
 このお地蔵様は、集落の海岸寄りを東西方向に走っている県道臼杵・津久見線(旧国道217号線)に設置されている板知屋バス停のちょうど、道を隔てた向い側に造られた石殿の中に安置されています。石殿の中には、二体の像が安置されていますが、赤いよだれ掛けをつけた像高五十五センチの、お顔のやや風化した凝灰岩製の像が「夜泣き地蔵」と呼ばれているものです。ここに納められている二体の像は、「香前由来地蔵」としておまつりされています。
地元の言い伝えによると、夜泣き地蔵は、供養のために彫られた像であるといわれています。その昔、江戸時代の初め頃、四国の方からこの板知屋に、「アサリ」という名の一人の尼僧が流れ着いたそうです。ある時、尼僧は村の若者三人に辱めを受け、このことから尼僧は、仏縁を断ち切られたと大変悲しみ、自害(自殺)してしまったとのことです。その後、夜になると女の人のなく声が聞こえ、人々は、これは尼僧の恨みの声だと恐れ、これを鎮めるために祈祷師に頼み、怨念を払ってもらうと共に、罪を犯した若者達の罪滅ぼしのため、像を三体彫り、これら三体の像を「夜泣き地蔵」として祀り、死者の霊をねんごろに弔ったということです。それ以後、夜なく声はぱったりと消えたそうです。
しかし、こうした出来事も時の移り変わりと共に村人達の記憶から少しずつ消えてゆき、いつしか、これらの像をおまつりする人もなくなり、また、三体の像の行方もわからなくなっていたそうです。ところが、昭和の終わり頃、三体あった内の一体の像の首から下の部分が近くの崖下から偶然掘り出され、更に、平成元年頃、前に発見された場所の近くから、今度は頭部が見つかり、百年あるいは二百年以上を経過して、ようやく一体の像が元の姿に戻ったとのことです。この像の頭部が発見されるについては、いろいろと不思議な出来事があったともいわれています。
いずれにしても、所在が不明であった仏像が、偶然とはいえ、長い時間を経て、またこの世の中に出現するという、仏の深い縁が感じられる思いです。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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