公開日 2019年2月7日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 上浦・深江地域
- 名称
- 海賊泊(かいぞくどまり)
- 所在
- 臼杵市泊ヶ内
- 備考
- 昭和59年1月調べ
- 説明
- 泊ヶ内地区には、海賊泊と呼ばれるやや奇異な名前のついている入江があります。臼杵のほぼ東端に位置し、外海には面してはいますが、波は穏やかで周囲の自然地形と東方の洋上に浮かぶ沖無垢島と地無垢島の二島を含めて織り成す美しさは、あたかも洋上庭園を眺めるに似ています。
海賊といえば、航行している船を見境も無く襲い、金品や船荷を略奪する無法者という観が強いのですが、古代においては海軍力を持った軍団、すなわち水軍として広く知られています。なかでも、伊予国(現、愛媛県)の東部宇和島沖に位置する日振島を本拠地として威を振るった藤原純友や源平の合戦の折、平家の水軍のために九州入りを阻まれていた源範頼や義経に兵船数壱百艘を持って味方し、平氏追討に協力した豊後の豪族、臼杵次郎惟隆や緒方三郎惟栄などが有名です。彼らは、自己の勢力範囲内にある海上を通行する船から通行料を徴収しながら富を蓄え自己の勢力を拡大してゆきました。
中世に入り、大友氏が豊後国を治めるようになると臼杵湾内では一尺屋の若林氏をはじめ田口氏(後、改姓して鶴原姓を名乗る)風成の平川氏などの有力な水軍が、大友氏の家臣として海上の守備にあたっており、合戦時には、この海賊泊などに待機させていた船を何十艘となく繰り出して戦場におもむいていったものと思われます。浜には往時の水軍の基地としての名残をとどめているものは何もありませんが「ホウカイ様」と呼ばれ、地域の人々から大切に祀られている珍しい供養塔があります。その昔、難破し、この浜に打ち上げられたお坊様を供養したものと伝えられ、今では出漁の無事を祈る安全祈願の塔として厚い信仰を集めています。