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与一郎悲話

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
上浦・深江地域
名称
与一郎悲話(よいちろうひわ)
所在
臼杵市大泊
備考
昭和56年7月調べ
説明
歴史的事件の表舞台と裏舞台、そのなかには悲喜こもごもの話が秘められています。なかでも、悲話というのは一種独特のひびきをもって聞く人の心を誘い、同情と哀愁の気持ちをかきたてます。
昔から「判官びいき」という言葉が示すように弱い者、或いは悲劇の主人公などに対しては、多少の道理を超えても後援するという気質が、日本の風土の中でつちかわれているため、悲話は自然な形で人々の中にとけこみ、語り継がれています。
臼杵にもこの種の話は多く、特に戦国時代に生きた武将とその一族の運命にまつわる話は、かなり伝えられています。その一つに与一郎悲話があります。
天文十九年(一五五〇)大友家の家督をめぐり、当主義鑑(宗麟の父)と家老との間で争いが起こり、自分の考えに異見をもつ家老たちを討つべく、義鑑は追っ手を差し向けました。これを知った田口蔵人佐は、御家のためにと逆に主人義鑑に切り付け、重傷を負わせました。このため、田口蔵人佐は、逆心の汚名をきせられ、一族郎党は次々と城方の追っ手に討ち取られていきました。蔵人佐の息子与一郎は、ようやく追っ手を逃れて大泊のコウムリケ谷の洞穴に隠れ、村人がひそかに運んでくれる食料で命をつないでいましたが、その隠れ穴も追っ手によって発見され、大泊の村に引き出されて討たれたということです。
今でもコウムリケ谷には、田口与一郎の隠れ穴と呼ばれている洞穴があります。奥深い谷の、さらにその支谷の奥に隠れ穴はあります。まわりには、樹木がうっそうと生い茂り、よほど地形に詳しい人でないと近づくことができないようなところです。
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  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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