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卯の市まつり

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

 
地域
下北地域
名称
卯の市まつり(うのいちまつり)
所在
臼杵市大字井村熊崎本村
備考
平成2年5月調べ
説明
春になり新芽が吹く季節になると市内のあちらこちらのお宮では春祭りが盛んに行われます。こうしたお宮でのお祭りは、一年を通じ、毎月市内のどこかで行われていますが、とりわけ、春と秋には多くなっています。それも、五穀豊穣祈願や収穫のお礼といった農耕に関する内容のお祭りが多いといえます。
今でこそ、ほとんどなくなってしまいましたが、昔はお寺や神社の祭日や縁日というと必ずといってよいほど「市」がたちました。そして、その市を目当てに町や村の内外から大勢の売り手と買い手とが集まって、盛んに商いが行われていました。
昔、こうした市がたっていたことをうかがわせる名前の付いた神社のお祭りがあります。それは、市内井村の三島神社で催される「卯の市」祭りです。記録(臼陽寺社考略記)によると、延慶元年(1308)四月初卯日の祭礼の時に初めて布や農具、器物の売買をする市がたったと記されています。延慶という時代は、鎌倉時代の初期にあたります。この時代から市が始まったとあり、歴史の古さが十分にうかがえます。
また、この時摂州(現、大阪府)の商人布屋何某という者が、三島神社に畳を献じたとあり、これを契機として、祭礼の市が広く知られるようになり、いつしか全国の布の値段が、この卯の市で決まるようになったとも記されています。市がにぎわいをみせていたため中世大友氏の時代には争い事を避けるため監視の騎士を遣わしていました。これは、近世の稲葉氏の時代に至っても引き継がれていたようです。
こうしてにぎわいをみせていた市も稲葉氏の時代に入って、まもなくすると市が城下の町に移ってしまい、往時のにぎわいが徐々に失われていきました。その後は、地域のお祭りへと変質してゆき、卯の市という名はそのままに、お祭りそのものは今日も続けられています。昭和三十年代ごろまでは、この祭礼に「牛の市」が開かれていたとのことです。こうした状況をみても、市というものが三島神社の祭神を氏神とする地域の人々の生活に密着した内容のものへと変わってきたことがうかがえます。
また、祭礼には、獅子舞、神楽や相撲などが奉納されていたようですが現在では、奉納も獅子舞と神楽だけになっています。時代とともに祭りの様子は変化しているようですが、季節の区切り、あるいは地域の氏神を大切にしてゆくという臼杵の人の心は変わっていないようです。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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