公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 下北地域
- 名称
- 光音寺跡(こうおんじあと)
- 所在
- 備考
- 昭和60年11月調べ
- 説明
- 臼杵には、慶長五年(1600)稲葉氏の入府以後に建立された寺、あるいはそれよりも前にすでに建てられ、現在まで存続している寺院が三十数ヶ寺ほどあります。
人口わずか四万人ほどのこの町に寺だけでも三十数ヶ寺あるということは非常に珍しいことです。また、寺院の大きさも実にさまざまです。広い境内に諸堂が軒を連ねている寺もあれば、わずかに小堂一つを残すだけで住む人もないといった寺もあります。
そのほかに、かっては境内に堂宇が軒を並べていましたが、今は建物が何一つなく、荒れた境内に石造物だけが残り、往時寺が存在していたことを示す寺跡と言われる所もたくさんあります。
市内稲田門前に位置している光音寺は、まさにこの寺跡と呼ばれるものです。旧境内の一部には、首の欠落した仁王像や石幢の一部、五輪塔片などが数多く残っています。今となっては、その大きさを知るよしもありませんが、昭和58年8月に行った旧境内の発掘調査の際出土した瓦や中国陶磁器等の遺物から少なくとも鎌倉期から室町期(13世紀~16世紀)までは確実にこの寺が存在していたことがわかりました。
また、この寺跡の東側には谷一つをはさんで中世の城である栗山城跡があります。ここの城主吉田一祐の菩提寺が光音寺であったといわれており、光音寺の消滅は、16世紀末の吉田氏の滅亡と何らかの関係があるのではないかと見られています。
境内には、宝永七年(1710)の、銘ある石幢の塔身部が一基残っています。