公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 下北地域
- 名称
- 臼塚古墳(うすづかこふん)
- 所在
- 臼杵市稲田
- 備考
- 昭和55年12月調べ
- 説明
- 熊崎駅から北北西の方向へ約800mばかり行くと、前方の三重野台地の南端近くにこんもりと一箇所だけ高く盛り上がっている杉木立が目にとまります。このこんもりとしたところが臼塚古墳です。
古墳は臼杵神社の境内にあり、古墳の上にはお社が立てられています。この古墳は、一部削平されているところもあり、完全な形はとどめていませんが全長約87mと大きく、市内に残っている古墳の中では最大級のもので、今から千五百年位前の古墳時代中期頃に造られたといわれています。
この臼塚古墳は、直線距離にして約1.3kmばかり南東に位置している下山古墳より、出土遺物・埋葬施設(石棺)・副葬品などの点から見て、年代的にやや古いとされています。後円部の頂上付近には二基の舟形石棺が、また前方部と後円部の接点で幅が一番狭くなっているところには、全国でも珍しい短甲形の石人が二基立てられていましたが、施設として覆屋設置に伴って、石棺、石人ともそれぞれ移設されています。この石人は、武人を表現しているもので、以前は古墳の被葬者を守るかのように被葬者を納めた石棺の方を向いて立てられていました。
副葬品には、中国製の鏡(位至三公鏡・獣帯鏡)二面、勾玉(首飾り)、多数の鉄剣、、鉄刀、そのほか鉄鉾、短甲、貝輪(腕飾り)などがあります。当時としては、非常に貴重で珍しい副葬品であるところから、被葬者はこの海人部地域でかなり大きな勢力を持っていた豪族であったことがうかがわれます。
古墳の前方部に立って、前面に広がる田園風景を眺め、当時の世界に想いを馳せていると、自分がまるで古墳時代の首長にでもなったような錯覚した気分にとらわれるかもしれません。(H14.10月一部加筆修正)