公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんはか)
- 所在
- 臼杵市掻懐
- 備考
- 昭和53年6月調べ
- 説明
- 臼杵市は豊後キリシタンの中心地として知られており、大友宗麟の時代には学校まで建てられましたが、その後徳川幕府のキリシタン弾圧政策により廃絶しました。そのため市内の各所にかくれキリシタン墓と推定される墓も数多く残っています。
南津留掻懐の台地にその代表的なキリシタン墓が二基あります。両方とも凝灰岩でつくられており第一のキリシタン墓はかまぼこ型の墓で、東西に横たわり、長さ1.31m、底面の幅0.575m、半月型をなす軸部の高さは正面0.51m、反対側の方は0.48mあります。
半月型の周辺に沿って弧線を刻入し、中央に幅2.4cm、深さ0.6cmくらいの彫りで、ラテンクルスを雄けいに表しています。その長さは横に18cm、縦に31cmあります。
第二のキリシタン墓は、かまぼこ型ではなく長方体のものです。軸部の上尾から尾端までの長さはおよそ1.09mあります。軸部の下方に櫛型をなした厚さ30cmの造出があって、これを基壇として力強くラテンクルスが彫り込まれています。
前記二基のキリシタン墓は、昭和二十八年に県の史跡に指定されています。
南津留掻懐上小路の国次氏の所有地で、掻懐天満社から道を隔てた東方の台地に墓地があり、この墓地の北端に二基のキリシタン墓があります。