公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 殿様道と茶屋峠その二(とのさまみちとちゃとうげ)
- 所在
- 備考
- 平成5年4月調べ
- 説明
- 前回で紹介した殿様道を久木小野の集落から約400mほど上った場所に、周囲を竹林で囲まれた120坪ほどの平坦面があります。ここが地元の人たちの間で言い伝えられている茶店の跡なのです。
この言い伝えによれば、ここに江戸時代に殿様が休憩される茶店があったのですが、いつの頃にか盗賊に荒らされたために店をたたんでしまったということだそうです。また、現地にはそれを裏付けるかのように、こんな山中ではめずらしいほどに陶磁器や瓦の破片が散乱していました。そして地表面には灰石を3~40cmの大きさで箱型に切ったものがいくつか露出していました。臼杵市教育委員会では、このように人の手の加わったものが多く残されていることもふまえてここを遺跡として認定し、平成5年の二月に発掘調査を実施しました。
密集する竹の切り株に悪戦苦闘しながら腐葉土をきれいに取り除いていくと、次第に灰石の切石がたくさん、しかも整然と並んでいる様子がだんだんと見えてきました。そしてこの腐葉土を全部除去してしまうと、切石が二つの長方形を組み合わせたような形に配置されていることがわかりました。この切石は建物の礎石だったのです。
礎石の配置の様子から、この建物は北側に主屋、南側に張り出しの建物を持つ型で、主屋が8,7坪、張り出し部が2,7坪ほどの小さなものであったと推定されます。主屋は北面と西面に縁側の礎石にも残っており、ちょっとした座敷をしつらえた建物であったことが考えられます。また、張り出し部からは多量の陶磁器が見つかったことから、この部分は厨(台所)であったようです。建物の外観は、周囲からシックイの出土がないことから恐らく板張りか土壁であったと思われます。屋根は瓦の出土量が少なく、軒瓦が見つかっていないことから、藁葺屋根の軒先に瓦を葺いたものであったようです。このように建物自体は江戸時代の一般農家とほとんど同じような形態であったことが考えられるのです。
さらにもう一つ、この調査で面白い事実が判明しました。出土した陶磁器の作られた年代を調べてみますと、これらがみな西暦一八ニ〇年代から一八六〇年代にかけて製作されたものだということがわかったのです。この遺跡からはこの時期よりも古く、また新しい時代の遺物が出土していないのです。つまりこの建物がこの時期、いわゆる幕末期の短期間にしか存在しなかったものである可能性が認められたわけです。