公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 殿様道と茶屋峠(とのさまみちとちゃとうげ)
- 所在
- 備考
- 平成5年3月調べ
- 説明
- 臼杵はかつて“東九州の浪華”と呼ばれるほど栄えた町として広く知られていました。鉄道がまだ発達しておらず、海上交通が物資流通の主役だった時代に、湾の奥にある良港をもっていたことがその背景にあるのです。そして港とその奥にある穀倉地帯や主要都市とを結ぶ陸上交通路がめぐらされていたことも見落とせません。
江戸時代に臼杵には、末広方面から大分に抜ける府内城路、武山方面から三重、竹田へと向かう岡城路、海添から津久見、佐伯へとゆく佐伯城路という三本の幹線道路がありました。これらが交通の要路となっていたのですが、さらにこの三本の要路をつなぐ間道が網の目のように設けられていたのです。
これらの道は廃道になっていたり、近・現代の道路改修によって現在ではほとんど当時の様子を残していませんが、今なおその面影を伝えている道もあります。久木小野から落合へと抜ける通称「殿様道」もその一つです。
この道は岡城路と府内城路を障子岩~田尻でつなぐ間道の一部で、正式な名称は不明ですが、久木小野~落合に限って地元の人が殿様道と呼んでいます。その由来はかつて岡(竹田)藩の中川候が参勤交代の折に通ったという落合地区の伝承によるものです。
殿様道は久木小野の県道交差点(現在)あたりからその北側にある標高115mほどの通称「茶屋峠」を越え、落合地区の南側へと出る延長約1kmの道です。
この道も他の旧道と同じように等高線や谷を上手に利用しながら、急な上り下りが少ないように造られているようです。道幅は1.5mから5,7mとわりと広めです。また、落合地区への入口部分と、そこから約300mほど上った所の二ヶ所には延長20~30mにわたって凝灰岩の石畳が敷かれています。臼杵市内では府内城路、岡城路、佐伯城路にそれぞれ石畳道の一部が残っていますが、間道に石畳が敷かれている例は珍しく、この殿様道が当時の間道としてはよく整備された道であったことがわかります。
この道がいつ開かれたかは不明なのですが、天保二年(1831)に作られた「臼杵領内絵図」には記載されていることなどから江戸末期には既にあったようです。そして今年の二月に、その当時の様子を物語る遺構が発掘されました。
それが茶屋峠の茶屋跡なのです。