公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 板川野の石塔群その一(いたがわののせきとうぐん)
- 所在
- 臼杵市川野
- 備考
- 平成4年11月調べ
- 説明
- 臼杵には数多くの灰石(阿蘇溶結凝灰岩)製の文化財が分布しています。ことに末広、中臼杵、下南地区などの市南・西部には、中・近世の石造物が数多く所在していることで知られています。
板川野地区には文亀三年(1503)に建立された川野石幢(六地蔵塔)がありますが、この北側の台地には江戸時代に造られた二十基余りの石塔群が、四つのグループを構成して残されています。
市道から川野石幢と向かう里道を約100mほど行くと、道よりもやや高い崖面の窪みに無銘の「愛染明王像」と、宝暦年間(1751~61)作の「奉順禮西国秩父坂東縁起塔」が第一グループをなしています。
第二グループはそこから更に台地斜面を東へ30mほど上がった崖上にあります。ここには高さ64cm~94cmの板碑が三基立っており、うち二基は「南無六道能化地蔵菩薩」と刻まれた六地蔵塔です。一基は元禄二年(1689)、もう一基は同五年(1692)の銘があります。岩の下には同じ大きさくらいの石塔が一基伏せられて置かれていましたが、種別は不明です。
第三のグループは更にそこから30mほど東に行った崖際にあります。このグループは四基の「庚申塔」によって構成されており、うち一基には「宝?」と年号が刻銘されていますが、欠損していて年代は特定できません。
ここから北へ15mほどの位置には、南北に長く、周囲よりも一段高くなった切落による平坦面があります。この平坦面の中央部分には、十~十四基の石塔群からなる第四のグループがあります。このグループの石塔群は多種多様で、現在確認できるものに、「地蔵坐像」「宝篋印塔」「五輪塔」「光明真言塔」「三界萬霊塔」があります。このうち光明真言塔には「宝暦第四歳」の銘があり、宝暦四年(1754)に、三基確認された五輪塔の一基には明和元年(1764)銘があることからそれぞれの建立年代がわかります。
第四グループの石塔の配列には東列と西列があり、東列に七基が並び、西列には三基が立っていますが、倒れ伏せた石塔を含めると七基程度があったようです。他の三グループが固まって配置されているのとは対照的です。
これらの石塔群がなぜここに造られたのか、どのような性格のものなのかは、次号で考えることにします。