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川原内隧道跡

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

 
地域
中臼杵・南津留地域
名称
川原内隧道跡(かわらうちずいどうあと)
所在
 
備考
平成2年2月調べ
説明
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という書き出しで始まる川端康成の『雪国』の一説はあまりにも有名です。暗いトンネルの中で、はるか彼方の出口に見える一筋の光。その暗いトンネルを抜け出た時、目の前に広がる別世界。トンネルの先にある道の世界へ遭遇した時の驚きと感動。事実、見知らぬ土地を旅していて、こうしたことに出会うことはたびたびあります。
本来、トンネル(隧道)は、地域間の、あるいは遠隔地との時間的な距離を縮め、交通の便の悪さや距離感などを解消し、安全でしかも文化や経済活動などにおける地域間格差を少しでも無くして、同じような生活環境を整えることを目指して造られたものと思われます。特に平野部に対して山間部や丘陵部の多い大分県では、隧道ができる、できないによって、地域間における生活環境や経済活動は大きく左右されます。今日のような経済性優位の社会にあってはなおさらです。
臼杵市内にも地域間の距離の短縮や安全性の確保、交通の整備などといった点から多くの隧道が設けられています。これらの中には市や町の境に位置しているものもあります。ここで紹介する川原内隧道は、臼杵市と津久見市にとの境につい平成2年1月頃まで位置していたものです。この隧道は、臼杵でも珍しい掘り抜いただけのもので、全長およそ15m、、幅約4m、天井部までの高さ約5mをはかる小さなものでした。川原内の古老の話によると、隧道が掘られたのは大正六年(1917)ごろであったとの事です。その当時、山口県の宇部の会社が八戸台から掘り出した灰石(石灰岩)を津久見の浜まで運び出すために、青江方側の方からここを掘り抜き隧道としたそうです。石の運びだしには馬車が使われ、一日二十から三十台の馬車が津久見の浜まで運んでいたそうです。しかし、馬車を利用しての運び出しでは採算が取れなかったこともあって、二、三年で石灰岩の運び出しはやめてしまったということです。
その後は、東神野地域と津久見を結ぶ主要隧道として人々に利用されてきました。県道204号津久見野津線の唯一の隧道として人々に親しまれていました。長い年月の間に隧道内の岩も徐々に崩れ、往時の姿とはだいぶ違っていたようです。時の流れとはいえ地域の生活史を物語る生証人ともいえた隧道が失われたことに一抹の寂しさを禁じえません。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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