公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 長小野出土の経筒(ながおのしゅつどのきょうづつ)
- 所在
- 備考
- 昭和57年11月調べ
- 説明
- 昭和十八年四月、長小野地区の山林を開墾している際、大きな自然石による石積みの中から青銅製の筒が一個発見されました。これは経筒と言われる大変貴重な容器で、中には血書の法華経八巻が納められていました。
経筒に刻銘はありませんが、総高23.8cm、筒身の直径8.1cmと比較的大きなものです。中に納められていた経巻は、縦18cm、横54cmの薄い和紙を貼り合せて作った巻紙に血で法華経を書写したものです。血書であるという点から、この写経にあたった人物の、後世に経典を伝えるということに対する並々ならぬ決意の程がうかがわれます。
この経筒が発見された場所は、長小野の集落から北へ150mばかり離れた標高40mの通称薬師森とか天神山と呼ばれているところです。この経筒が埋納されていた経塚は、開墾の際削平されたらしく姿をとどめていませんが、周囲に散在する石の様子から見て、かなりの大きな塚があったと思われます。これらの経塚や経筒は、釈迦入滅後、57億7千万年後の弥勒菩薩出現までの間、仏法が衰え、修行して悟る者のいない時代が来るので、仏法を正しく伝えるため経典を書写し供養して残そうとする末法思想により、平安時代から作られ始め、その後期に最盛期を迎えています。
臼杵には、経典を埋納したと考えられる経塚が、現在のところ長小野・通・広原の3箇所で確認されています。長小野から発見された経筒は、中に納められていた経巻と共に昭和四十二年九月八日、市指定有形文化財の指定を受け、善法寺で大切に保管されています。