公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 中臼杵・南津留地域
- 名称
- 乙見の六地蔵塔(おとみのろくじぞうとう)
- 所在
- 臼杵市乙見
- 備考
- 昭和61年5月調べ
- 説明
- 臼杵は、細工の施しやすい軟質な凝灰岩(通称灰石と呼ばれている)が豊富に取れることもあってか、昔からこの石を使って多くの石造物が造られています。その優れた作品(文化財)として、古墳時代の家形石棺や短甲形石人、平安時代後期の磨崖仏、一石五輪塔、鎌倉時代の宝篋印塔などが特によく知られています。
このほかにも室町時代から江戸時代を通じてつくられた数多くの石造文化財が残っています。
乙見の六地蔵塔(石幢・せきどう)もその一つです。この塔は、熊野神社の近く、字権現山というところにあります。残念なことに、六地蔵は倒れているため、塔の各部分は散在していますが、それらをよく見るとなかなか立派な彫刻が施されています。(平成2年度に復原修理施工)
中でも、笠部や龕部には見るべきものがあります。笠部の内側先端には家屋軒先の垂木を表現したと思われる凹凸が等間隔に彫られ、その垂木部分には朱が施されています。龕部は八面に区切られ、そこに六地蔵と仁王が浮き彫りにされています。垂木部分同様、龕部にも朱が施されています。
地蔵の像高は約31cmで、地蔵、仁王とも素朴なつくりながら力強さを感じさせます。この石幢は追善供養のためにこの塔を建立したことが記されています。加えて天文の銘があるところから見て、1532年~1554年の間につくられた、高さ2.5m(推定)の塔であることもうかがえます。
市内にはこの他刻銘のあるものとして、王座石幢(応永33年=1426)、川野石幢(文亀3年=1503)などがあります。
地蔵を祀り信仰することは平安時代の終わり頃から始まり室町時代に最も流行します。地蔵は慈悲深く、浄土には住まず、悪趣(あくしゅ・現世で悪事を働いたものが、死後に陥る苦悩の世界)を住みかとし、慈悲を持って罪人の苦を代わりに受けるということから、また地蔵の信者が危難を被りそうになった時、身代わりになってくれるという現世利益的な面が広く人々の信仰を集めているのでしょう。(平成2年に保存修理をした後、市指定有形文化財に指定)