公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 下南地域
- 名称
- 田井ヶ迫の歓喜院(たいがさこのかんぎいん)
- 所在
- 臼杵市田井ヶ迫
- 備考
- 平成3年6月調べ
- 説明
- 緑なす山々に抱かれた谷間に広がる田や畑、山すそに点在する農家の軒、そしてその間をのどかに流れていく小川のせせらぎ-奈良の飛鳥の景観をほうふつさせるようなここ、田井ヶ迫に歓喜院はあります。
歓喜院は寛文七年(一六六七)藩主稲葉氏の永代供養料として、臼杵藩の御留山(おとめやま・藩有林)であった田井ヶ迫八町八反の山林を藩から賜った大橋寺の歴道上人が、大橋寺の別院として開基した庵寺です。
歓喜院の本尊は阿弥陀如来で、そのほかにも薬師如来、観音菩薩が祭られています。また、この周囲にはこの寺の開基と同時に開かれたという三十三ヶ所の観音霊場が設けられています。本堂は後世の補修を受けて外観はかなり変わってしまったものの、建物内部は開基以来のものであると伝えられています。
歓喜院の開基となった歴道上人は大橋寺中興と呼ばれた高徳の名僧で、隠れキリシタンであった掻懐村の村人全員を藩の隠れキリシタン狩りから守るために、宗派を超えて彼らを大橋寺の門徒として藩に申し出たエピソードでも良く知られています。上人は歓喜院の完成と同時に隠居して、この庵寺に入り、以後延宝七年(一六七九)に七十二歳で没するまでここに暮らしていました。
それから後も大橋寺の住職で隠居した僧がここに入ることがありましたが、現在は無住で、田井ヶ迫地区の方たちによって守られています。そして毎年旧暦の三月十八日には大橋寺の僧を招いて地区民全員の参加する大法要が営まれます。
この大法要の日には、本堂の壁に十一幅の地獄極楽絵図(掛軸)が掛けられます。以前は法要のあとにこの絵図を見ながらの法話があったそうです。幼い子供達の目にはこの生々しい阿鼻叫喚の世界が実に恐ろしいものに映り、日頃の態度を反省する良い教材にもなっていたと、平成3年の法要に参列した方が語ってくれました。
こうした庵寺や、地蔵堂や観音堂といったお堂が昔は必ず一つの村に一つはあったようです。そして年に一度はこうした法要が営まれ、子供たちをはじめ、大人たちにも自分の生活態度を振り返ってみる良い機会となっていました。しかし今では子供達もずいぶんと忙しくなって、こうした行事に参加することがあまり見られなくなったとの声もあちこちで聞かれるようになりました。