公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 下南地域
- 名称
- 神崎の元稲荷(こうざきのもといなり)
- 所在
- 臼杵市神崎
- 備考
- 平成元年4月調べ
- 説明
- 臼杵の神崎(こうざき)といえば、「神崎稲荷」の祀られている土地として広く知られています。神崎集落の一番奥まった所に位置する山の東斜面中腹にお社が建立されています。
ゆるやかな坂道を150mばかり登っていくと、一際高く積み上げられた石垣とその上に玉垣のめぐらされたお宮の境内に至ります。参道も含め境内には桜の古木も多く、この季節になると桜の花が一斉に咲き誇り、まわりの緑の中で、淡いピンクの色を際立たせています。まるで清らかな美しさを競い合っているかのようです。山間をさえずり渡る鶯の声とそよ吹く春風、そして、静けさの漂う境内。これらが微妙に溶け合って、一種独特な落ち着きある山間の雰囲気を醸し出しています。
急な石段を登りつめると拝殿が目に入ってきます。拝殿の奥には高さ3m以上もあるような大岩の上に一間社流造の本殿がつくられています。
稲荷は商売の神様として現在では広く信仰を集めていますが、もともとは、農業の神様として、あるいは氏神様として地域の人々に崇められていました。現在の神崎稲荷社は、明治の初め頃、元宮から移されたものです。その元宮は、ここからさらに300mほど山を登ったところにあります。山の斜面の、これも岩の上に石の祠が祀られています。総高98cmの凝灰岩でつくられた石殿とこれも同じ石でつくられた竪杵のような形をした花筒が一対あるだけの寂しいものですが、それだけにかえって、元宮としての古さと、最初の信仰の姿をとどめているといえるかもしれません。
このお宮が、いつのころにこの場所に祀られたのか記録が無いので、はっきりとはわかりませんが、参道入口の南側に奉納されている献灯の「安政二年(一八五五)」の刻銘から推して、十九世紀中頃にはすでに祀られていたと思われます。この元宮に祀られていた神様が、現在の本殿のある場所に移されたのはいつなのか、この点もはっきりしませんが、元宮に奉納された竪杵形の花筒に刻まれた「明治二十一年九月」の年号と現在のお宮の境内北側に奉納されている手水鉢に刻まれている「明治二十三年十一月」の年号とを考え合わせた時、明治二十一年九月以降、明治二十三年十一月までの間に移されたとみることができそうです。
また、元宮のすぐそばには昭和三十二年、神崎地区の山を開墾して十周年になったの記念して建てられた「開墾記念の石碑」もあります。現在、あたり一面は見事なミカン畑に変わっていますが、この場所に立ち、石碑を見るとき、ここまでに開墾し、立派な土地にした当時の人々の苦労がどのようなものであったか、おぼろげながらも察することができます。