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弘法様と横穴

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

弘法様と横穴の写真
地域
下南地域
名称
弘法様と横穴(こうぼうさまとよこあな)
所在
臼杵市野村西平
備考
昭和63年9月調べ
説明
野村台地北西端の西平という所には、地域の人々から弘法様として大切にお祀りされている高さ30cmばかりの二段に重ねられた自然石があります。
この弘法様として祀られている自然石は、切り立った凝灰岩の、ちょうど地表から110cmほどの位置に掘り込まれている横穴の中に安置されています。横穴は、国道502号線と臼杵インター出口との交差点から田井ヶ迫へ向かって200mほど行った道の東側の崖面にあります。
弘法様(弘法大師)と言うのは空海のことで、彼は唐の国(現、中華人民共和国)において仏教を学び、大同元年(八〇六)、三十四歳の時に帰国し、六十三歳で没するまで、生涯をかけ仏の教えを伝えるために尽くしています。
また、彼は四十二際の厄年に四国の修行地を一巡して、八十八ヶ所の霊場を定めたと伝えられています。その後、江戸時代に入ると庶民の間に深く信仰が広まり、四国八十八ヶ所の巡礼が定着してきました。
野村の西平に弘法様が祀られるようになった理由はいろいろあるようですが、どのようないきさつにせよ弘法大師の遺徳にあやかりたいという人々の強い願いがあって、この場所が選ばれたといえるかもしれません。
そのほか、ここにはもう一つの注目すべきものがあります。それは弘法様が祀られている横穴です。一見すると何の変哲も無い、崖面に掘られた穴としか見えませんが、実はこの横穴にこそ大きな意味があるのです。これは、今からおよそ一千四百年ほど前の古墳時代後期の墓なのです。
市内でこの時期の横穴が残っているのは、末広地区の「末広横穴」、芝尾崎地区の「芝尾崎横穴」、諏訪地区芋地の「諏訪横穴」などです。今まで古墳時代の関連遺跡は、熊崎川・末広川の流域にしか発見されていませんでした。このため、古代海部一族の生活の舞台(支配地)は臼杵湾岸地域及び古墳が所在する熊崎川・末広側流域が中心であったと考えられてきました。
しかし、野田地区からも発見されたことによって、新たに臼杵川の流域沿いにも古代海部一族の生活の舞台は広がっていたことが考えられるようになりました。
横穴は入口部が二段に掘り込まれた幅57cm、高さ58cm、玄室(死者を葬る部屋)奥行約1.5mと小さなものですが、臼杵の古代を語る多くのかぎがここには秘められているのです。(H14.10月加筆修正)
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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