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不欠塚

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

不欠塚の写真
地域
下南地域
名称
不欠塚(ふかんづか)
所在
臼杵市大字望月
備考
昭和59年3月調べ
説明
望月のバス停前から台地に連なる坂道のちょうど中ほど、望月の天満社の下にあたるところに、高さ約1.9mの石碑が一基建てられています。碑は、凝灰岩を角柱状に仕上げたもので、正面にあたる西側には「不欠塚」という文字が深彫りされています。それはまるで眼下に広がる田んぼとその中を東へ向かってゆるやかに流れる臼杵川を眺めているかのようです。
このあたりの田は、現在でこそ春には麦を、秋には稲を収穫する二毛作のできる、市内でも有数の実り多い肥沃な土地として知られていますが、江戸時代の中頃(十八世紀の初頭)までは、大雨が降るたびに洪水によって田が流され、何度も堤防を築いても、大雨のつど、堤が流れに直撃されて決壊し、田は土砂に埋まるという無残な姿をさらしていたそうです。この悲しい様子をいつも天満社の下で眺め、水が引くと田におりていろいろと観察をして、堤の崩壊の原因やその対策について考えていた人物がいました。その人の名は疋田不欠。ある時、不欠の家に泊った旅の僧と話すうちに、洪水に話が及び、不欠が「どう工夫しても堤が崩れる」と言うと、僧は「水は生き物、水に逆らってはどんな堤も破られます」と言い、翌日二人は荒らされた田を見て回りました。堤の切れ口と川の流れとの関係を話し合っている時、「水の流れに従って水勢をやわらげる」ことに気づいた不欠は早速、工夫して洪水にも崩れない堤防づくりを行ったということです。
彼は享保十四年(一七二九)に亡くなりましたが、その後天保九年(一八三八)に彼の業績をたたえ、上望月村の人たちがこの碑を建てました。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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