公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日

- 地域
- 下南地域
- 名称
- 田井ヶ迫の観音霊場(たいがさこのかんのんれいば)
- 所在
- 臼杵市田井ヶ迫
- 備考
- 昭和58年6月調べ
- 説明
- 市内にある霊場でよく知られているものに、享保八年(一七二三)に開かれた藤河内小出の観音堂を第一番としてはじまる西国三十三ヶ所観音霊場と天保年間(一八三〇~一八四三)に山庵寺を第一番としてはじまる四国八十八ヶ所札所の石造仏が、周辺の峰々や谷間に配置されている霊場とがあります。このほかに、もう一ヶ所、田井ヶ迫にある大橋寺の別院歓喜院の境内に西国三十三ヶ所観音霊場の縮小版とでもいうべきものがあります。境内南東の山の中腹から裾に向けて三十三ヶ所札所の各尊像が順に安置されています。いずれの像も臼杵では珍しい硬質の砂岩に彫られています。なかでも第一番の那智山青岸渡寺の如意輪観音は、像高五十五センチと他の像に比べ、やや大きく造られており、中腹に突き出ている岩場の上に安置されています。
順路は、第三十三番目から第一番へと逆になっていますが、境内から急な斜面を登りつめ、第一番に着いた時、なんとも言われぬ感動を覚えます。この感動は、実際に西国の札所を巡ったと同様のものではないでしょうか。気軽に西国三十三ヶ所霊場を巡ることができなかった往時の人々にとって、一ヶ所でまとめて各札所の尊像を拝することができたということは、大きな喜びであったと思われます。この観音霊場は、寛政十年(一七九八)に、歓喜院に隠居された大橋寺十五世の挙空護明上人僧成大和尚により開かれたものです。
現在、石像の多くは雑草に覆われており巡拝の人々でにぎわった当時をしのぶことは難しい状況になっています。