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江無田の報恩記念碑

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

 
地域
市浜地域
名称
江無田の報恩記念碑(えむたのほうおんきねんひ)
所在
臼杵市江無田
備考
平成3年2月調べ
説明
臼杵の歴史をひもといてみますと、実に多くの人たちが様々な分野で功績をおさめていることがわかります。こうした人たちの中で地域に大きな貢献のあった人に対し、恩恵にあずかった人々が感謝の気持ちを込めてその人の業績を碑に記したもの、これが報恩碑です。
数ある臼杵の報恩碑の中でも、ひときわ珍しい形をしているのが江無田・十六天神踏切脇にある報恩記念碑でしょう。この碑は、亀甲積みの石垣をモチーフとした基壇の上に実物大の寝そべった牛を配し、その背中に長方形の碑面を置くという変わった形をしています。
この報恩碑は、佐藤伊佐五郎氏という人の行績を称えて造られたものです。そしてこの行績はこの碑の伏せた牛が表しているとおり、朝鮮半島からの牛の輸入の増進をはかったことにあります。
佐藤氏は安政五年(一八五八)に通で生まれ、明治十八年(一八八五)から牛馬の売買業を始めました。そして、北海部郡の同業者による組合が設立された明治三十六年(一九〇三)ごろから、牛を大量に朝鮮半島から輸入し日本国内で販売することを試みています。
佐藤氏は朝鮮半島各地を歩き回り、さまざまな苦労の末に輸入経路を確保しました。しかしその後も、輸入した牛がすべて疫病にかかっていたため販売できなくなることもあり、何度か倒産しそうになったことがあるそうです。そしてこうした困難を乗り越え、ついには年間数百頭を輸入できるようになり、国内一般に普及するようになったとこの碑には記されています。
御遺族の方の話によると、佐藤氏は輸入が軌道に乗り始めた頃から、朝鮮半島の釜山鎮という所に娘夫婦を住まわせ、そこから牛を送り出してもらい、本人は臼杵の江無田にいて、日本での流通、販売を担当していたとのことです。そして大正九年(一九二〇年)、六十二歳で亡くなりました。 佐藤氏は非常に温厚な人柄で、生前から多くの人に慕われていたそうです。佐藤氏の没後、こうした人々が佐藤氏の行績を称え、後世に伝えるために資金を出し合って建立したのがこの報恩記念碑なのです。
この碑の制作にあたったのは、やはり地元の佐藤秀五郎氏という石工の棟梁で、碑の伏牛の部分は農家の牛小屋で寝ている牛をよく観察して弟子と共に彫り上げたそうです。そのリアルな姿からは、秀五郎氏の腕の確かさが伝わってくるようです。
こうした報恩碑を訪ね歩くと、多くの人々が地道な働きによって地域を支え、臼杵の歴史を築いていったことが実感されます。そしてその背景には、彼らを支えた多くの無名の人々がいたことも事実なのです。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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