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戸室台遺跡

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

 
地域
市浜地域
名称
戸室台遺跡(とむろだいいせき)
所在
臼杵市戸室
備考
昭和60年8月調べ
説明
市内には、遺跡が約百六十五ヶ所ほどあります。その種類も城跡・墳墓・建築物・生活跡・石造物等実に様々です。これらは、何れもそこに住んでいた人々の生活の中で生まれ、現在まで残されてきたものです。戸室台遺跡もその一つです。
臼杵湾を一望できる風光明媚な戸室台地には、大友氏第十五代親繁、十六代政親の墓所があること、また、台地のいたるところで中世の遺物(土器や陶磁器)が拾えることから、この台地上に一時期大友氏の館があったと推定されています。ただ、その館が、台地のどの位置にあり、その範囲はどこまであったのかという点については、明確ではありませんでした。
ところが昭和60年に新たな発見がありました。この台地の南西部分が中学校のグランド建設予定地となったため、市教育委員会が昭和60年の四月から七月まで発掘調査を行ったところ、この地域から無数の柱穴や土こう(土を掘りくぼめた穴)、それに多くの土器や中国陶磁器(青磁・白磁・天目・染付)が発見されたのです。なかでも、東西七間(15.15メートル)南北二間(4.2メートル)で柱穴内に一種の礎石とも言えるような表面が扁平な石を敷いた掘立柱建物跡は注目されます。また、出土した遺物は、いずれも十五世紀代を中心としたものが大部分を占めていました。
十五世紀代は、大友親繁・政親が臼杵を舞台として永享年間(一四二九~四〇)の合戦で失った旧領の回復や対外貿易によって国力の回復に努めるなど盛んに活躍した時期とほぼ一致します。
この遺跡から発見された多くの遺構や当時としては非常に貴重であった中国陶磁器が多量に出土したということは、大友氏の館の一部がこの地に存在していたことをうかがわせます。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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