公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 市浜地域
- 名称
- 大友親繁公の墓(おおともちかしげこうのはか)
- 所在
- 臼杵市戸室
- 備考
- 昭和59年5月調べ
- 説明
- 戸室台地の北東部に心源寺というお寺があります。小さなお堂風の建物ですが、まわりの静けさととけあって、落ち着いた雰囲気をかもし出しています。この寺の境内西側の墓地の一角に、臼杵では珍しい大友家第十五代親繁公のお墓があります。墓は、まわりより一段高く据えられ、総高1.5mで、笠部・塔身・台座部分が八面体をしているものです。石質は、凝灰岩です。塔身の四ヶ所に鼓が変形したようなマークが彫り出されています。また、北西面と北東面には次のような刻銘があります。
(北西面)
豊前後二州太守従四位下大友豊後守源親繁公在世八十三歳
(北東面)心源寺殿心源清公庵主 明応元丑十一月十四日示寂
この親繁という人物は、世の諸大名が家督相続をめぐって、それぞれ同族内で敵味方に分かれ争い合っていた室町時代中頃(十五世紀頃)に生きた人物です。国内を上手く一つにまとめ、また永享年間(一四二九~四〇)を中心とする合戦で失った旧領の回復を目指して、盛んに活躍しました。朝鮮を中心とする海外貿易にも力を注ぎ、その利益で、戦を重ねて疲弊していた国力の回復に努めたことでも知られています。家督をその子政親に譲った後は、臼杵の入り組んだ海岸線の見わたせる風光明媚なこの戸室台に居を構え、余生を楽しんだと言われています。
このお墓から南へ七十~八十m離れたところには、政親公のお墓も有ります。