公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 臼杵・南部地域
- 名称
- 臼杵公園の宗麟像(うすきこうえんのそうりんぞう)
- 所在
- 臼杵市大字臼杵字丹生島
- 備考
- 平成4年10月調べ 平成27年4月訂正
- 説明
- 今までに日本で一番人物彫刻像のモチーフとされてきたのは、個人では何といっても二宮金次郎でしょう。
では大分県では?やはり大友宗麟がそうなのではないでしょうか。
宗麟の後半生の拠点である臼杵にも、彼をモチーフにした青銅像があります。
南蛮船や国崩を背景にして凝視する、精気漲る最盛期の彼の姿を刻んだ「大友宗麟像」というレリーフです。
このレリーフは昭和五十七年の複製品ですが、原形は臼杵出身の彫刻家、日名子実三の作品であることは皆さんもご存知のとおりです。
日名子実三は明治二十六年(1893)、畳屋町で生まれ、大正七年(1918)に東京美術学校(現、東京芸術大)彫刻科を卒業後、帝展(日展の前身)を中心として活躍した、日本を代表する彫刻家の一人です。
彼は朝倉文夫(朝地町出身)に師事していましたが、後に袂を別ち、新たに建築と彫刻との結びつきを主張した領域を開拓したことによって彫刻界に大きな業績を残しています。
昭和十一年(1936)、当時の北海部郡教育会(現在の教育委員会)が、翌年が大友宗麟没後三五○周年にあたるのを記念し、当事の小学校の先生達が、月々出し合った寄金をもとに、大友宗麟像のレリーフ制作を日名子実三に依頼しました。
これを引き受けた日名子は、その製作に極めて熱心に取り組んだそうです。
威厳と大志に満ちた表情やポーズもさることながら、そこに構成されるものの時代考証についても研究を重ねたそうです。
羽織の襟や椅子の文様は十六世紀のスペイン、ポルトガルのそれをモチーフとしていますし、背景の帆船も当時の船の資料に基づいてデザインされていたり、髪形などの細かい所まで当時の風俗の考証がされており、考証作品としての価値もまた高いということです。
このように苦心を重ねたため、製作には約一年かかり、臼杵城会所櫓跡の石垣に据えられて除幕式が行われたのは昭和十二年(1937)二月十三日のことです。
しかしこの作品は、残念なことに昭和十九年(1944)、戦時物資供出のため撤去されています。
現在、このレリーフの複製は、臼杵公園旧西の丸庭園跡に置かれています。