公開日 2019年2月6日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 臼杵・南部地域
- 名称
- あな名残惜しやな(あななごりおしやな)
- 所在
- 備考
- 平成3年8月調べ
- 説明
- 先月号の“ふるさと再発見”で、祇園祭の神輿の掛け声が、渡御の際が「チョウサヤ・ヨウサ」、還御の際が「チョウネンナ・ヨウネンナ・アーナナーゴリオシャナー」であると載せたところ、読者の方からご指摘がありました。
この方のお話によりますと、祇園神輿の囃方(掛け声)は、渡御の際が「ミョウサヤ・チョウサ」、還御の際が「ミョウネンナ・チョウネンナ・アーナナーゴリオーシャナー」であったということです。
また、先月号で、「これらの掛け声の語源に付いては不明であるが」と述べたところ、この方から「還御の際のミョウネンナ・チョウネンナ・アーナナーゴリオーシャナーは、漢字で書くと、明年な、長年な、あな名残惜しやな、となり、『今年の夏祭りも今日で終わり。後一年も明年(来年)まである。長い年月を待たなければならない。ああ名残惜しいことだ』という意味を持つもので、これが語源にもなっている。」とのご教示を戴きました。
これらについてもう一度調べてみましたところ、「千鳥」という狂言(鎌倉から室町時代にかけて成立した、喜劇的な古典芸能)の中で、「チョウサヤ・ヨウサ」が、重いものを引く時の掛け声として使われています。狂言の台詞は、中世の標準語を多用して構成していますから、この掛け声は少なくとも江戸時代までには、現代の「ワッショイ・ワッショイ」と同じような形で、標準語的に定着していたものであると考えられます。それが臼杵祇園夏祭りの御神幸が始まった江戸時代前期に臼杵に伝わり、神輿の囃方となった際か、或いはその後に「ヨウサ」が訛ったものではないかとも思われます。いずれにせよ、「ヨ」ではなく「ミョ」であったとご記憶の方が多く、臼杵ではやはり「ミョウサヤ・ミョウネンナ」が使われていたことに間違いは無いようです。
以上のことから、「チョウサヤ・ヨウサ」が、臼杵祇園夏祭りの御神幸が始まる以前に成立していたことが考えられ、「明年な、長年な」である「ミョウネンナ・チョウネンナ」も、どうやら従来の標準語的な掛け声が、臼杵流にアレンジされたものである様子がうかがえます。そしてこの後に「アーナナゴリオシャナー」と続けることによって、哀惜の念を込めた臼杵独特の囃方が成立したのではないでしょうか。
一般にさして意味のない単調な言葉が掛け声として用いられていることが多い中で、このように祭に対する心情をたくみに折り込んだ叙情的な囃方が臼杵に生まれていることは、当時の臼杵人が独創性とともに実に風雅な心を持っていたことを良くあらわしているといえるでしょう。そしてこうした当時の人々の気持ちやものの考え方をこれからも続けていくことが文化の継承であることも確かです。
今年も夏祭りが終わって、本格的な夏が始まりました。そして又季節は巡り、来年の夏祭りを迎えることになります。しかし今日このときはもう再び還ることはありません。それを考える時、「あな名残惜しやな」との古人の心情も理解できるような気がします。