公開日 2019年2月5日
更新日 2019年2月28日
- 地域
- 臼杵・南部地域
- 名称
- 姫岳(ひめだけ)
- 所在
- 臼杵市東神野
- 備考
- 昭和55年4月調べ
- 説明
- 市街地から南西の方向、津久見市との境に位置し、標高約六百二十メートルと臼杵市で最も高い山が姫岳です。この山にまつわる伝説や史実も多く、かつては歴史の舞台で重要な役割を果たしていたといえます。
真野長者伝説によると、長者の一人娘であった般若姫が欽明天皇(第二十九代)の皇子橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと・後の用明天皇)の妃となって上洛をするときに、長者夫妻が、この山に登って姫を見送ったので、この山を姫見ヶ岳、後に転訛して姫岳と呼ぶようになったと伝えられています。
名前の由来とともに、この山について語るときに忘れてはならない歴史上の出来事があります。それは、姫岳の合戦と呼ばれるもので、九州の地に支配勢力をのばそうとする中国地方の雄、大内氏と、その進出を阻もうとする大友氏との戦いです。永享七年(一四三五)大内持世とそれを支援する幕府軍が豊後に侵入してきたため、国主であった大友持直(第十二代)は、姫岳にこもり、大内・幕府連合軍と攻防を繰り広げ、はじめのうちは地の利にまさる大友軍が勝利をおさめていました。しかし、大友軍に内応者が続出したため、ついに姫岳城は落ち、敗れ去ったというものです。
今、山頂は雑木におおわれているため、当時のようすなどを伺い知ることはできませんが、眼下に広がる景観には、今も昔もかわらぬ美しさがあると思います。
姫岳に登るには、川原内方面からの道と、鎮南山・山庵寺から尾根にそって登る道とがあります。
この尾根に沿った道は、江戸時代川原内と旧城下とを結ぶ主要な道路の一つともなっていました。