公開日 2019年2月4日
更新日 2019年2月28日

- 地域
- 臼杵・南部地域
- 名称
- 祇園まつり(ぎおんまつり)
- 所在
- 備考
- 昭和52年7月調べ
- 説明
- 祇園まつりは稲葉四代藩主信通が、寛永二十年(1643)海添五味浦の馬場に祇園社の行宮(かりみや)を建て、祇園洲の八坂神社からここへはじめて御神幸の始まりといわれています。信通はこのお祭りに、神輿(みこし)一台と烏毛朱柄槍五十本を寄進しています。
祇園社から海添の行宮への御神幸が定例化したのは、承応元年(1652)からで、当時海添への御神幸は六月七日から十五日(旧暦=昭和十六年頃まではこの日に行われていました)までと定められていました。
その後六代藩主知通が元禄十年に祇園社の神殿を修造し、この年から祇園まつりの祭礼の規模を広げ、城下八町の町人に山車(だし=臼杵の場合はこの上で芝居や踊りを見せていましたので踊り山と呼ばれています)行列などの催しを行わせました。この山車の伝統が現在まで続けられています。