【謎に包まれた臼杵石仏】 古園石仏大日如来像に代表される国宝臼杵磨崖仏は、平安時代後期から室町時代初期にかけて彫られたと考えられています。 臼杵石仏は、一体誰が何のために彫ったのか?古くからの伝説に登場する真名長者夫婦が作らせたのではないか?また、臼杵地方の有力者だった臼杵氏が作ったのではないかなど様々な説が考えられています。しかし、真実はいまだに歴史の彼方に隠されたままです。  (写真:大日如来像) | 【「野津」の成立】 歴史上における「野津」という地名の成立は、11世紀中頃ではないかと考えられています。 少し時代は下りますが、13世紀の土地台帳によると、「野津院(=大友氏の荘園)」は60町(現在の60ヘクタール)で、大友一族の定住と開発が伺えます。 【大友氏と臼杵】 大友義鑑 (宗麟の父)から、野津武士団(佐土原氏・吉岡氏・波津久氏など)は直接文書を受け取っていました。また1550年の「二階崩れの変」で重傷を負い、2日後に没した義鑑は、野津院寺小路の到明寺に葬られました。 戦国時代、九州6ヵ国を治めたキリシタン大名・大友宗麟が、永禄5年(1562年)、四方を海に囲まれた天然の要塞であった丹生島に丹生島城(臼杵城)を築きました。ここから、城下町「臼杵」の歴史が始まります。宗麟時代の臼杵は、明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市として栄えました。 現在、臼杵城跡には大友宗麟のレリーフ(日名子実三作)と当時の大砲「国崩し」のレプリカが設置されています。 |