臼杵といえば石仏。と言っても過言ではないほど、その存在は臼杵市民の心の拠りどころとなっている。国宝に指定された平安期から鎌倉期にかけて作られたと伝えられる石仏群。これだけの数と保存状態の良さは、全国でも類を見ない。深田の静かな里に眠る石仏のお顔を拝見すると心が和む。  
  ●化粧の井戸
 臼杵石仏を奥に進むと坂の途中にこの井戸を見つけることができる。『炭焼き小五郎』や『真野長者』の長者伝説の中で、顔の醜いホクロがあった『玉津姫』が、ここの井戸水で顔を洗うとたちまちにホクロが消え去り、見違えるほどの美女になったという伝説がある。
●宝筐印(ホウキョウイン)塔(日吉塔)
 満月寺の裏手に堂々と建って、通称日吉塔と呼ばれている。高さ4.2m、全体は基礎、塔身、屋根、相輪の四層からなっている。そこに丸型の穴があいており、おそらく祭りの道具や願文、写経などが納められていたと思われる。
 
   二王座あたりの台地は、阿蘇山の火山灰が固まってできたところで、岩を削り取って道を作っている(通している)ことから、「切り通し」と呼ばれている。大友宗麟の時代、凄まじい勢いの島津藩を吉岡甚吉らがこの地で抑えた「甚吉坂」や「明石原人」を発見した直良信夫の生家がある。また、『旧真光寺』と繋がる石畳は、臼杵市の代表的な景観であり、特に訪れる人が多い。  
 
▲2001年11月7日に完成した大門櫓
 4月になると満開の桜に彩られ、市民の憩いの場として愛されている公園である。かつては、丹生島と呼ばれた島を自然の要塞として大友宗麟が1562(永禄5)年ごろ築いた城であった。四方を海で囲まれている海城はその形が亀に似ていることから「亀城」とも呼ばれた。東端に「亀の首」と呼ばれる所があり、そこからは臼杵湾を一望でき古の人々になったような気分にさせる。現在、公園には島津軍をも退却させた大砲「国崩し」のレプリカや宗麟を象ったレリーフが城跡の中央部に設置されており、当時を偲ぶことができる。  
   古都臼杵市のシンボルの一つとして見逃せない建築物のひとつ。龍源寺境内にある太子塔であり、中に聖徳太子の像を祭っている。臼杵が生んだ江戸時代末の名工・高橋団内(だんない)の作で、十年の歳月をかけて1858(安政5)年に完成した。その歴史的景観はあまりにも有名で、多くの人たちに親しまれている。塔の軒下のユーモラスな『邪鬼(じゃき)』を見つけることも見学のポイントである。  
   1871(明治4)年廃藩置県により城を失い東京住まいになった第15代臼杵藩主稲葉久通が、臼杵に帰って来た時に里帰りの屋敷として作られた。3500平方メートルの敷地と庭園は、その風格を今に残している。
料 金/大人(高校生以上)320円、小人(小・中学生)160円
問い合わせ/0972−62−3399
 
 

 

 美濃国(岐阜県)の武士であった丸毛氏が、稲葉氏3代藩主の家来として、明治維新を迎えるまで、代々生活をした屋敷。現存する建物は、往年の藩政時代における武家住宅の姿をよくとどめており、県内外の専門家の関心が高い。静かな住宅地の中でこの空間だけ時が止まっているようである。  
   夏目漱石の弟子としても有名な作家、野上弥生子が14歳で上京するまで生活をした家。代表作として、「海神丸」「真知子」「迷路」「秀吉と利休」がある。中でも「迷路」は、舞台の半分が臼杵で、20年余りもかけて完成させた大作。女性としては2番目に文化勲章を受け、臼杵市名誉市民の第一号にも推薦された。
料 金/大人(高校生以上)、小人
問い合わせ/0972−63−4803
 
   春の訪れを知らせる曲として有名な『早春賦』の作詞者である吉丸一昌の記念館。同館はユキ夫人の実家(旧板井家)である江戸時代からの旧家屋を利用して開設されたもの。当時の楽譜や遺品など吉丸一昌ゆかりの品が多数展示されている。  
 白馬渓
 

 昭和53年4月8日、臼杵市名勝文化財に指定された。
 春はツツジ、秋は紅葉(11月中旬頃)が美しい。 天保3年(西暦1832年)臼杵藩主稲葉幾通公の時代、臼杵の住人で伊勢新神宮を尊崇する橋本主馬介眞彦は、よくこの地に遊んで、山水渓谷の美しさにうたれ、臼杵田町の富商清水善七氏は、同士と共に道路を開き石橋を架け、もみじ、南天など四季の花樹を育て、天保4年伊勢の外宮豊受大神の御分霊を迎えて大神宮を創って以来、この境内を「白馬渓」というようになった。
 

 
その他郊外のおすすめスポット
津久見島(月見島)
 臼杵の海の玄関のシンボル。おにぎり島と呼ぶ人もいるほど市民に愛されている島である。古くは、臼杵七島の一つ「竹生島、竹島」と呼ばれていた。一説によると臼杵城からの月の眺めの良さから「月見島」と呼ばれるようになり、現在の津久見島と呼ばれるようになったという説もある。夏には、島の民宿を訪れ、海水浴や釣りを楽しむ人も多い。
大泊の鯨墓
 あまり知られていないが臼杵市内には「大浜」「中津浦」「佐志生」「大泊」に鯨の墓が見られる。その中でも大泊では1870(明治3)年港の工事のために大変な借金をしていた村に一匹の鯨が迷い込み、その肉や内臓、油や皮にいたるまでが高い値段で売れたため、借金を返すことができたと言われている。鯨の霊を慰め、感謝した証だとされている。
黒 島
 徳川家康の外交顧問としてオランダとの貿易に大きな影響を与えたウィリアム=アダムス(日本名・三浦按針)が、リーフデ号に乗って1600(慶長5)年に漂着した場所だと言われている。夏は、海水浴地として多くの市民で賑う。
六ヶ迫鉱泉
今から約200年前、足をけがした白鷺が傷を癒しているところを村人が見て、発見されたと言われている。それにより「鷺来ヶ迫(ろくがさこ)」とかつて言われていた。湧き出る鉱泉は、飲料用や沸かし湯として胃腸病・糖尿病に効き目があると遠く本州や四国からも利用者が訪れる。

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