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臼杵で一番古い文字

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
その他
名称
臼杵で一番古い文字(うすきでいちばんふるいもじ)
所在
臼杵市稲田
備考
平成5年2月調べ
説明
現在の私たちの生活に欠かせないものはさまざまありますが、その重要なものの一つとして文字を挙げることができるでしょう。中でも文字そのものに多くの意味が含まれる漢字の存在は、日本の文化に今なお多大な影響を与え続けています。
漢字は少なくとも今から約二千年程前の弥生時代中期に日本へ入ってきたと思われます。しかし本来の用途である、意思伝達の手段として使われるようになるのは、それから四~五百年後の古墳時代のことと考えられています。
では臼杵に残されている文字の中で最も古いものはどのようなものなのでしょうか。それは臼杵という地名の発祥地でもある、稲田の臼杵神社に保存されている銅鏡に刻まれた“位至三公”という四文字なのです。
直径9.5cmほどの小さなこの鏡は、臼杵神社の建つ臼塚古墳の船形石棺の中から、鉄刀や勾玉などと一緒に発見されたものです。この四文字を刻むことから「位至三公鏡」と呼ばれ、三世紀に中国で造られたものと考えられています。
さて、この“位至三公”とは一体どんな意味を持つのでしょうか。昭和六十一年(1986)、京都府福知山市の広峯十五号墳という古墳で発見された銅鏡には三十五文字が刻まれていましたが、その中に“吏人詺之位至三公 母人詺之保子宜孫”(りじんこれをもちいばくらいさんこうにいたる ぼじんこれをもちいばこをたもちそんをよろしうす)という対句となった一文がありました。これを訳すと“男子がこれを持つとその位が三公(中国で皇帝に次ぐ位。日本の総理大臣にあたる)となる。女性(母親)が持てば息子の健康は保たれ子孫も多くなる”となるそうです。つまり、“位至三公”とは男性が出世を願う意を込めた銘文であると考えられるわけです。
その四文字だけを刻む位至三公鏡は、日本ではわずか十例前後しか見つかっていません。それも臼塚古墳のほぼ同時代にあたる四世紀末から五世紀後半にかけての古墳から発見されているものがほとんどです。さらに不思議なことには、九州、山陰、中国地方の、海に近い場所に位置していたり、船形石棺を埋葬する古墳から発見されることが極めて多いのです。海に生きる海人部集団の長であった者の墓とされる臼塚古墳もまた、その例外ではありません。
五世紀という時代は、時の中央政権である大和朝廷の基礎固めができあがった頃であるのと同時に、九州の地方豪族たちが、独自の海を越えた対外国交流によって勢力を拡大した時期でもあります。大和朝廷は九州の豪族達を何とか押さえつけようとするのですが、力に自信を持った彼らは、六世紀初めに筑紫(福岡県)の磐井という豪族を盟主として、大和朝廷に対し戦いを挑むようになるのです。
海を行き交う彼らは、己の実力を持って栄達することを望み、この鏡を好んで持ったのでしょうか。それは彼らの顔を映したこの鏡に刻まれる四文字が、千五百年の時を越えて知るのみです。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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