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御霊社(その一)

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

 
地域
その他
名称
御霊社(その一)(ごりょうしゃ)
所在
臼杵市戸室/野村
備考
昭和59年9月調べ
説明
市内には、御霊社あるいは御霊神社と呼ばれている社が五社あります。戸室・野村・大泊・風成・佐志生の各御霊社などがそうです。
同じ御霊社という名称ですが、そこに祀られている祭神はそれぞれ異なっています。
(戸室の御霊社) 
戸室台地の南東部、字友石にあります。祭神は、第十六代大友政親公です。この人物は、大友・大内両氏の家督相続問題から端を発した姫岳の合戦など永享年間(1429~1440)を中心とする合戦で失った旧領の回復や臼杵湾の複雑な海岸線を利用しての海外貿易などに父親繁とともに力を注ぎ、国力の回復を図った武将として知られています。後年は、子の義右(第十七代)との間が不和になり、明応五年(1496)に義右が病死するや父政親が毒殺したといううわさが流れたため、豊後国にいられなくなった政親は、船に乗り一族である筑前の立花氏をたよって脱出しました。しかし、途中の赤間関で大内義興の家臣に捕らえられ、明応五年、長門国の舟木地蔵院で義興に切腹させられてしまいました。この非業の死をとげた政親公をいたんで大友氏の家臣であった小倉氏が、天文七年(1536)この地に社を建立し、霊を祀ったのが始まりです。
(野村の御霊神社)
野村台地のほぼ中心にあたる字御霊畑にあります。祭神は、鎌倉権五郎景政の霊、あるいは大野九郎泰基の霊とも伝えられています。大野泰基については次のような言い伝えがあります。大友氏が豊後へ入国した時、その命に従わなかったため、滅ぼされてしまった。その霊が大友氏に害をなすので、それを鎮めるために豊後国内五ヶ所に社を建立し、泰基の霊を祀った。その中の一つが、この社であるといわれています。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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