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丸山古墳の石棺

公開日 2019年2月7日

更新日 2019年2月28日

丸山古墳の石棺の写真
地域
下北地域
名称
丸山古墳の石棺(まるやまこふんのせきかん)
所在
臼杵市稲田
備考
平成4年4月調べ
説明
臼杵市内には数多くの文化財が分布していますが、その中には臼杵磨崖仏をはじめとして、日本の歴史を研究するうえで大変貴重なものもいくつか含まれています。
熊崎川流域には、全国的に見てもあまり類例のない鉄?(古代の鉄の延べ板。これを加工して鉄器を造ったともいわれる)が出土した下山古墳、あるいは日本最古の石人が立つ臼塚古墳があります。これらの古墳は、五世紀代の日本と朝鮮半島の交流、九州と大和朝廷とのかかわりを考えていくために不可欠な資料ともいわれています。
この二基の古墳の周辺には、他にも八基の古墳が分布しています。これらは臼塚、下山に比べて規模が小さく、現在ではほとんどあとかたをとどめていないものもあるためにあまり知られていませんが、臼杵の古墳時代の様子を知るうえで興味深い文化遺産といえるでしょう。
その一つ、丸山古墳は、三重野公民館の位置にある小円墳(規模の小さい円形の古墳)です。道路改修や公民館の建設などの工事によって墳丘は直径3mほどに削られてしまいましたが、そのすぐ上に灰石製の石棺の底部が残されています。また、石棺の蓋がここから約30mほど南に位置する臼塚古墳の前方部に移されて残っています。
この石棺はその大半が破壊されていて、元の形をほとんど残していないのですが、復元すると、長さ約2.5m、幅約90cmの舟形石棺(棺蓋と棺身をそれぞれ石をくり抜いて造った石棺)であったようです。蓋は寄せ棟屋根の形をして、側面にへん平な四角形をした縄掛突起(埋葬時に墓穴へ石棺をつりおろす時に縄を掛ける部分)を二個ずつ小口部にへん平楕円形の縄掛突起を一個ずつ設けています。
この石棺が造られたのは、形の特徴からみて五世紀の中ごろ、臼塚古墳よりもやや新しい時代のものと考えられます。また、臼塚古墳の二基の船形石棺とよく似た形であることから、臼塚の石棺を造った石工と同じグループに属する人たちが造ったものであるかもしれません。
丸山古墳はもともと直径10m前後の規模であったと思われ、その位置から、臼塚古墳の被葬者の有力な家臣の墓ではないかと言われています。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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