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十六天神

公開日 2019年2月6日

更新日 2019年2月28日

 
地域
市浜地域
名称
十六天神(じゅうろくてんじん)
所在
臼杵市戸室
備考
昭和63年12月調べ
説明
市浜から戸室台地の東裾を通って佐賀関方面へ通じる国道217号線沿いに位置する江無田台地の東端裾部分には十六天神と呼ばれている小高い丘があります。丘の上にはカシの木やシイの木などの照葉樹が生い茂り美しい緑の美観を作り出しています。今でこそ周辺部は埋め立てられ、水田や宅地などとなり、地形は大きく変化してしまいましたが、江戸時代(一六〇三~一八六七)には江無田台地の裾まで波が打ち寄せ、この丘は陸地から離れた独立の海島となっていました。
当時は磯島とも呼ばれ、臼杵七島の一つに数え上げられていました。緑濃い島の切り立った岩肌に打ち寄せ、砕け散る白波の様子はまるで一幅の絵を見るようであったと思われます。臼杵の佳境地の一つであったこの磯島は、往時の人々に広く親しまれていたようです。また島の上には今日の名の由来ともなった十六天神を祭った御社とそのほかにお寺(妙法山安楽寺)が建立されています。
この地にいつごろ御社がつくられ、神が祭られるようになったのかは不明です。しかし言い伝えによると、旧江無田村をはじめとした近くの村々に天神社が十六ヶ所あり、その中でもここに祭ったものをその中心の社としたことから十六天神という名が付いたと言われています。またある説によれば、世の中には菅原道真父子一族の十六人(指す十六の天神がおり)、この十六人を一社に祭り勧請したことによって名づけられたとも言われています。更に安楽寺境内に嘉永元年(一八四八年)に建てられた石碑の文によると、「この島の周りは海であった。宣化帝(日本書紀の伝承によって出てくる天皇、六世紀はじめ頃の人物か)の御世、真野長者がこの海を埋めて陸地にしたところ、龍神の祟りに合い、洪水が起こりたちまちに陸地が水中に没してしまった。その後も祟りが治まらなかったので、敏達帝の時、長者は、祟りを鎮めるため大般若経を読誦し楽を奏したところ、神の感応があり、十六の天童子がこの島に降り至り、龍神の祟りを鎮めた。この事蹟によって、十六天神と呼ぶようになった」と記されています。
地名の由来については、はっきりとしたことはわかりませんが、どことなく古い歴史を感じさせる、臼杵に似つかわしい地名ではないでしょうか。古い地名には、必ずと言ってよいほどその土地の歴史にかかわる意味が含まれています。したがって地名は地域を語る時、欠くことのできない貴重な歴史遺産の一つであるといえます。
  • 臼杵市役所臼杵庁舎TEL:0972-63-1111(代表)
  • 臼杵市役所野津庁舎TEL:0974-32-2220(代表)

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